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シグマ50AFズーム
潔さ。それがシグマDPシリーズの真骨頂である。
初代のDP1(2008年発売)&DP2(2009年発売)から簡単に振り返ろう。両機ともにシグマの一眼レフ譲りでもある三層構造のフォビオンX3センサーを搭載。しかもDP1は35ミリ換算で28ミリ、DP2は35ミリ換算で41ミリとなる単焦点レンズを搭載。それぞれ広角専用・標準専用という、単焦点一本主義で独自の地位を確保した。そして三層構造のフォビオンX3センサー。とにかく画質の追求のために一切の妥協も揺るぎも感じさせない写真機なのである。高感度での描写や連続撮影など、弱点も多いカメラではあったが、それでも、その写りの良さからのめり込む写真愛好家が少なくはなかった。 数回のマイナーチェンジを経て、DPシリーズはより高機能でスタイリッシュなメリルシリーズに変化した。SD1譲りのセンサーが描く写真はさらに高細密な描写となり、従前のDPファンのみならず、新しいファン層も加えて、DPはその地位をしっかりと確立したのである。また、ラインアップには中望遠専用機のDP3メリルも加わり、このメリル三兄弟は"シグマの大三元”とも呼ばれるようになったのだ。 そして、今年はDP2クワトロが登場した。画質は言うまでもなく、そのエキセントリックなデザインも、多くの写真愛好家の度肝を抜いたのである。広角機DP1クワトロも同じデザインでの発売となり、おそらくはDP3クワトロも発売されるのだろう。これら"クワトロ強烈大三元”に期待は大きく膨らむところである。 * * * * さて、この歴代DPのなかでも特に驚きとともに迎えられたのがDP3メリルであった。ユーザーからの希望はあったものの、望遠専用機を発売するということは、おそらくシグマにとってもかなりの冒険であったと思う。 かつて、1950年代には興和からカロワイド・カロ35・カロテレという、広角専用機・標準機、そして望遠専用機がラインアップされたことがあった。広角専用機であるカロワイドはその後、コーワSWさらには超広角を搭載したコーワ190へと系譜をつなげたのだが、カロテレはその後継機を生み出さなかったのだ(もっとも、デジタルの時代になり突如としてTD-1という突拍子もないプロミナー+デジカメを発売して、世間を驚かせたのだが、これをカロテレの後継機とは言い難いだろう)。 他には、いくつかのメーカーから発売された双眼鏡との複合カメラはあるのだが、通常のカメラ型で望遠専用機となると、ほとんど思い当たらない。二眼レフのコニフレックスがちょっと長めの玉だったことなどが頭に浮かぶが、これも望遠専用機とは言いがたい。 ところが、実はかつてシグマが発売していたコンパクトカメラに、DP3への遠い布石となった望遠機があったのである。 * * * * もともとレンズからスタートし、交換レンズメーカーの巨星として輝いていたシグマだが、目標はあくまでも総合的な光学メーカーであったと聞いた事がある。 1986年。シグマ初のコンパクトカメラが発売された。現在のDPシリーズへと続くコンパクト機たちの原点となったカメラである。その名をAF35D-TFという。この機種は35ミリ単焦点を装備した、スタンダードなAFコンパクト機であったが、「望遠天狗」というコンバージョンレンズで80ミリの画角を得ることができた。 そして89年、シグマ35AFズームが発売されたのである。無段階制御のパッシブAF方式。搭載レンズは35~70ミリF3.5-6.7という平凡なスペックのズームコンパクト機。外装は当時のシグマが採用していた、つや消し黒の通称"ZEN仕上げ”と呼ばれるマット調の黒色で固められていた。ストロボ内蔵だが、なぜかホットシューもついていたのである。 さらに1990年。35AFズームの兄弟機が相次いで2機種発売されたのだ。28AFズームは28~50ミリF4.2-7.0の広角ズームを搭載。さらに50AFズームはなんと50~100ミリF4.3-8.0という、標準から望遠域へのズームレンズを搭載していたのである。つまり、この時代にズームコンパクト機でのシグマ流大三元が確立していたのである。DPメリルの大三元にはすでに半世紀近く前に布石があったのです。 それならば、この三台の売上はどうだったのだろうか。残念ながらこの三台を首から下げて悦に入っているカメラマンにはお目にかかったこともなく、さらに加えて言うならば、フィルム時代のシグマのコンパクト機を使っている人も見た記憶がないのである。つまりは、現在の目から見るとかなりのレアなカメラなのだ。 三機種ともなかなか精悍な顔立ちのカメラなのだが、やはり50~100ミリを搭載する50AFズームは他機種よりも鏡胴が少々長く、そのぶんしっかりと目立つのである。 この50AFズーム。レンズが望遠という以外に、それほど凝った仕様になっていない。無限遠付近でのピントは迷いやすく、シャッター半押しでフォーカスロックもできるはずだが、その感覚も今ひとつ腰砕け。ちょっと力を入れるとシャッターはあらぬタイミングで落ちてしまうのだ。また露出補正ができないのも残念な点。フィルム感度もDXでの自動セット以外は動かせないので、露出のコントロールはほぼ不可能。ポジで撮影した場合、およその見当で1/2段程オーバー気味に写ることが多く、やはりネガカラーないしモノクロでの利用が前提か、というのは残念な次第。 なお、このカメラ、すぐに外観を一部変更したズームスーパー100というカメラにマイナーチェンジしてしまうが、こちらには無限遠のフォーカスロックが設けられているのが進歩したところである。 この頃から、どこのメーカーのズームコンパクト機も高倍率化が進み、シグマのように、広角を切り捨てた望遠域だけのカメラはやはりレアなる存在になったのだ(こういった望遠に偏向したカメラの最後の砦はペンタックスが98年に発売したエスピオ200と言えるだろう。これはなんと48ミリから200ミリというズームを搭載していた。このカメラについてはそのうちまた機会を見て・・・)。 こうして、その血脈の途絶えていた望遠カメラだが、それだけにDP3メリルの登場は衝撃で感慨深かったのである。 * * * * さて、その感慨を胸に、いよいよシグマの旧大三元カメラの肖像を撮そうと思ったのだが、そこに難敵がいた。べたべたである。シグマ自慢のZEN仕上げは加水分解による経年変化で、とめどないグチャグチャベトベト状態に陥っていたのだ。この当時のシグマはカメラもレンズもZEN仕上げが多く、その多くが現在ではこのベトベト地獄となっているのである。 そのベトベトカメラを布の袋に入れたものだから、見事にカメラ全体が毛羽立った恐ろしい状態になってしまった。やれやれ。無水アルコールで拭いてはみたものの拭いても拭いてもグチャグチャベトベトの嵐はとどまらず、両手の隅々までその塗色で真っ黒になる始末。しかも、何とか拭いていると、ロゴまで拭き取ってしまいこのままではノーブランドノースペックの暗黒カメラになってしまう。というわけで、今回掲載の製品写真は、ロゴの部分を拭き残した極限のボロボロ状態。まあ、これだけひどい製品写真も珍しいのではと思うのだが、ZENの心で何とかお許しを願いたいのである。 ![]() シグマ50AFズーム・プログラムAE(50ミリで撮影)・フジクロームプロビア100Fプロフェッショナル[RDP?](エプソンGT-X970でスキャン) ご近所にてZ200を撮影。ポジだと少々露出オーバーになる。ネガカラーでの撮影が前提のカメラである。 ![]() シグマ50AFズーム・プログラムAE(100ミリ側最短撮影距離付近で撮影)・フジクロームプロビア100Fプロフェッショナル[RDP?](エプソンGT-X970でスキャン) 火山の途中にて。最近のデジカメに比べると、やはり寄れない。 ![]() シグマ50AFズーム・プログラムAE(100ミリ付近で撮影)・フジクロームプロビア100Fプロフェッショナル[RDP?](エプソンGT-X970でスキャン) 周辺光量の低化が著しい。当時のコンパクトカメラとしては普通の描写であろう。 ![]()
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