林義勝さん
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コンタックスRXII
1974年、「ちょっと失礼!芸能人100人の顔」の個展を銀座フジフォトサロンで催し、プロデビューしたその年、往年の名機コンタックスがRTSという名称で復活した。ボディーはポルシェデザイングループによるもので、他社メーカーのものとは一味違ったエレガントで美しいデザインも魅力的だった。いつかは使ってみたいという願望はあったが当時の私にとって高嶺の花の存在でもあった。それと、父(写真家林忠彦)が使っていたということも自分自身にとって敷居が高かった。私がプロデビュー当時に使用していたカメラはミノルタでSRT101から始まり、XE、X1、XDと、長期にわたって使用していた。中村勘三郎(当時、勘九郎)を七年間撮り続けたときに使用していたカメラもミノルタ製品によるものだった。 コンタックスを入手することが叶ったのは発売されてから三年目の年だった。念願だったカメラを手にした時の感触は今も記憶に残っている。ソフトなホールド感と、軽く指を触れるだけでシャッターを切ることが出来る電磁レリーズの感触も新鮮に思えた。以来、長年愛用し続けている。当初からツァイスレンズの解像力の良さとキレの良い描写に魅せられていた。後にズームレンズが発売されてからは、フットワークを重視した旅の撮影が主だったこともあり、ズームレンズを使用する頻度が多くなっていった。撮影の目的によって異なるが、主要機材となった、RXIIボディー3台にぞれぞれ、ディスタゴン18ミリ、バリオゾナー28~70ミリ、80~200ミリレンズを装着した3台でほぼ仕事をこなして来た。2006年NHKスペシャル「新シルクロード」の取材では延べ日数90日間、砂漠ルート、陸路16000キロの行程の中、夏と冬の気温差60度という過酷な条件にも対応し、ボディー、レンズ共にノントラブルで身体の一部のようになり、旅を共にすることが出来たのは嬉しかった。デジタル機材に移行してからも、銀塩フィルムはコンタックス、デジタルはキヤノンと目的によって使いわけている。
©林 義勝
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![]() 鈴木一雄さんは福島県出身。福島を愛し、裏磐梯シリーズ他、郷土の風景写真を撮り続けている。桜をライフワークとし、日本全国の桜を追い、『櫻乃聲』という写真集も出版。他にもテーマを持ち、精力的に作品づくりをしている。又、フォト寺子屋「一の会」を主宰し、写真愛好家の育成にも尽力している。そんな忙しい日々の鈴木氏だが、年に一度、鈴木氏の呼びかけで催される鍋の会では写真仲間が集い、写真談義に花を咲かせながら一献する酒宴に参加するのを楽しみにしている。 ![]() |
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