坂口綱男さん
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ローライ コード
写真のカメラは小説家 坂口安吾が使っていたものである。 それがなぜ私の手にあるかといえば、カメラの持ち主が私の父だからである。このカメラのファインダーを初めて覗いたのは小学校低学年の頃だろうか。磨りガラスの向こうに映る正立左右逆像の、まるでUボートの潜望鏡を覗くような不思議な世界にヤラレてしまい、ことあるごとに覗いていた。 気がつけば、写真を生業としている。 このカメラ「ローライ・コード」がなぜ坂口家にきたかというと、少し長いが父の書いた文章から紹介したい。 ![]() 小説新潮の新年号に、林忠彦の撮影した私の二年ほど掃除をしたことのない書斎の写真が載ったから、行く先々で、あの部屋のことをきかれて、うるさい。しょっちゅうウチへ遊びにきていた人々も、あの部屋を知ってる人はないのだから、ほんとに在るんですか、見せて下さい、と云う。見世物じゃないよ。 林忠彦は私と数年来の飲み仲間で、彼は銀座のルパンという酒場を事務所代りにしているから、そこで飲む私と自然カンタン相照らした次第で、このルパンでも、彼は四五枚、私を撮(うつ)した筈である。小説新潮の太宰治の酔っ払った写真もこゝで撮したものだ。 ルパンで撮した私の四五枚のうちに、一枚、凄い色男に出来上ったのがあり、全然別人の観があるから、私はこの上もなく喜んで、爾来この一枚をもって私の写真の決定版にするから、と林君にたのんで、たくさん焼増ししてもらった。 私は写真にうつされるのがキライである。とりすますから、いやだ。それで、新聞雑誌社から写真をうつさせてくれと来るたびに、イヤ、ちゃんと撮してあるから、それを配給致そう、と云って、例の色男を配給してやる仕組みにしている。 林忠彦は、これが気に入らない。あれは全然似ていないよ。坂口さんはあんな色男じゃないよ。第一、感じが違うんだ、と云って、ぜひ、もう一枚うつさせろ、私は彼の言い方が甚だ気に入らないのだけれども、衆寡敵せず、なぜなら、色男の写真が全然別人だというのは定説だからで、じゃアいずれグデングデンに酔っ払って意識せざる時に撮させてあげると約束を結んでいたのである。 ところが彼は奇襲作戦によって、突如として私の自宅を襲い、物も言わず助手と共に撮影の用意をはじめ、呆気にとられている私に、 「坂口さん、この写真機はね、特別の(何というのだか忘れたが)ヤツで、坂口さん以外の人は、こんな凄いヤツを使いやしないんですよ。今日は特別に、この飛び切りの、とっときの、秘蔵の」 と、有りがたそうな呪文をブツブツ呟きながら、組み立てゝ、 「さア、坂口さん、書斎へ行きましょう。書斎へ坐って下さい。私は今日は原稿紙に向ってジッと睨んでいるところを撮しに来たんですから」 彼は、私の書斎が二ヶ年間掃除をしたことのない秘密の部屋だということなどは知らないのである。 彼はすでに思い決しているのだから、こうなると、私もまったく真珠湾で、ふせぐ手がない。二階へ上る。書斎の唐紙をあけると、さすがの林忠彦先生も、にわかに中には這入られず、唸りをあげてしまった。 彼は然し、写真の気違いである。彼は書斎を一目見て、これだ! と叫んだ。 「坂口さん、これだ! 今日は日本一の写真をうつす。一目で、カンがあるもんですよ。ちょッと下へ行って下さい。支度ができたら呼びに行きますから」 と、にわかに勇み立って、自分のアトリエみたいに心得て、私を追いだしてしまった。写真機のすえつけを終り、照明の用意を完了して、私をよびにきて、三枚うつした。右、正面、その正面が、小説新潮の写真である。 坂口安吾著「机と布団と女」1948年(抜粋) 父の写真に関して書いた、数少ない文章である。 林忠彦氏の撮影方法も、撮影した写真もインパクトが有った事だろう。しばらくして父は林忠彦氏が自分を撮影していたのと同型のローライコードを買った。 物にはこだわらない、無頼派作家だった父が残した唯一といっていい高価な品である。安吾を撮影した林忠彦氏は、更に高価なローライ・フレックスを使っていたのだが、父の遺品の中では万年筆を除いてこれ以外のブランド品はない。 税務署と差し押えをめぐって闘争した父は、エッセイの中で「差し押さえられて困る物は、カメラくらいのものである」(『負ケラレマセン勝ツマデハ』1951年)と書いているぐらいだ。以来ローライコードは、“坂口家の宝もの”としての存在になった。大げさにいえば、持ち主が母になり、私に至るまでの60数年間、大切に受け継がれているのである。 このローライ・コードは、仕事で使うことは一度もなかったが、ファインダーを覗くと今でも、写真機に初めて触れた時のワクワクドキドキする、私の写真への原点に連れて行ってくれる。 ![]()
![]() 私がバトンを渡すのは林義勝さんです。義勝さんは写真家 林忠彦氏の三男で、親子二代のお付き合いになります。義勝さんは、年齢でもキャリアでも、私にとって大先輩ですから、本来名前でお呼びするのは失礼なのですが、初めてお会いした頃から旧知の仲のような気がして、“義勝さん”とお話ししています。 テーマの選択や被写体との向き合いかたなど、義勝さんは、写真家として常にかくの如くあらんという目標でありますが、逃げ水の如く追いつけない存在でもあります。 私が無理矢理バトンを渡す義勝さんが、どのようなカメラとエピソードをご披露するかのか一番楽しみしているのは、彼のファンである私かも知れません。 ![]() |
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