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高井潔さん
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リンホフテヒニカ4×5
 日本大学芸術学部写真学科を卒業し、大成建設広報課にカメラマンとして就職したのは、1961年4月のことである。学校は出たけれど、建築写真というものがどのようなものであるかまったく判らずに、知り合いから大成建設で写真を撮れる大学生を募集していることを聴き、選んだのが、たまたまコネのあった建設会社であった訳である。試験は30枚ほどの写真を持っての面接だった。まずは安定就職ということで会社勤めがスタートしたわけだが、会社へ行ってびっくり、出迎えてくれたカメラは新品のリンホフテヒニカ4×5に広角レンズのスーパーアンギュロン90mmと標準レンズの125mm、望遠レンズの210mmの一式。カメラもレンズも三脚も初めて見る大型カメラ用のものばかり。自分のものはといえば、ガラス面のファインダーを見るときに光を遮断する、表が黒で裏が赤の新品のかぶり布だけである。大型カメラは実物を見ても、本を読んでも、何が何だかさっぱり判らずということで、学校へ一式持参して建築写真の渡辺義雄教授に教えを乞うたところ、早速、研究室の若い先生を付けて下さり、にわか実地勉強という事になり、即席建築写真専門カメラマンが誕生した。
 当時、写真学科を出て就職といえば、新聞社、出版社、写真家のアシスタント、地元に帰って営業写真館などなど。ではどうして建設会社に写真家が必要であったかというと、それまでの建設会社といえば、営業部がお客様の処へ出向いて、「建設のお仕事はありませんか」と御用聞きをして仕事を貰う、ある意味では、コネ・縁故・信用で仕事が出来たという時代であった。ところが私が就職した頃には、そうのんびりしてはいられない時代になっていた。3年後の1964年には、東京で、アジアで初めてのオリンピック開催が決定、それに向かって建設ラッシュが始まっていた時代であった。
 建設業は、俗に言う「請負業(うけおいぎょう)」を「請負業(うけまけぎょう)」と揶揄して言われたり、言ったりしていた。これからの時代は今までのような消極的な事ではいけない。もっと自信を持って、積極的に営業をし、仕事を取りに行く時代である。という会社の考え方から、外に向かって大いに宣伝をしようということになり、その第一歩として広報宣伝活動をする広報誌のための材料として、建築完成写真の撮影を、自前でするということを目指していた。当時としては非常に稀な会社であった。
 幸いなことに入社した会社は、一流の大手建設会社で、被写体にしても、数にしても不足なし、入社後は東京オリンピックを前にして次から次へと建物は造られていく。東京をはじめ日本中に大型のホテルや銀行、病院、庁舎、工場、マンション、住宅、鉄道、道路、ダム、空港などなど、いくら撮影してもこれで終わりということはなかった。
 入社して半年間、広報課員は、広報誌の出版の準備、私はと言えば東京都内・近郊の竣工した完成建物の写真撮影で建築写真の勉強である。やがて半年もすると地方にも行ってもらおうということで、日本中が撮影場所になった。今週は東京近郊の物件、撮影したフィルムはすぐに現像をして整理。次の週は地方といった具合いに、東京近郊と地方都市を隔週で建築写真の撮影、その間に年末年始の式典、入社式、株主総会、役員のポートレイト、社内報の取材に会社の行事と、次から次へと撮影の仕事は入る。当時は土曜日半ドン一週間七日勤務、お客様の都合で日曜出勤代休なしというスケジュールをこなしていった。幸いなことに会社勤めをしている間は、病気で休むことなく過ごすことができ、頑強に生み、育ててくれた親には感謝である。学生時代には考えられなかった毎日毎日が写真漬けであった。
 写真家への道を模索して、私が初めて自分用の本格的な4×5用カメラを手に入れたのは、撮影を始めてから10年程たった頃、1971年の暮れにボーナスを貰って年を越した1月に入ってからのことであった。もちろん新品が買えるほどはいただけない。使い慣れた会社にある同じ機種の中古品を手に入れた。
 入社以来、4×5のカメラを持って撮影、助手なしは当たり前。1人で大型カメラに三本のレンズにカラー・モノクロフィルム、三脚、着替え、洗面道具を担いで、2等列車か長距離バスの日本全国写真撮影取材の旅は、目的地には前日夜行で出発、目的地に付いたらすぐ撮影。それが終わったら、その足で東京へ帰るという大変過酷な工程での仕事が続いた。しかしそんな中でも、完成したての建築現場には必ず社員が常駐していたので、撮影には必ず、にわか助手の人夫を荷物持ちとして手配してくれていた。会社は一人が一人前の仕事をするのは当たり前で当然助手という考えはなく、一人一人が有用な人材のため、勝手の判らないにわか助手が付くこととなって少々困ったが、これも上手に使えばにわか助手も重要な助っ人となり、大変助かったことが再三であった。大型カメラを使っての撮影には、私の写真家人生で遂に今日まで助手という人は使ったことがない、考えてみれば随分過酷な仕事であった。
 大成建設では勤務写真家。日本大学写真学科で教師写真家。その間に日本中をフィールドとして、私自身のテーマである「日本の民家」の作品撮影と出版・写真展を続けてきた。二度の勤めを終えて、退職。晴れてフリー写真家になったのは、2014年4月からのことである。退職を機に、2014年に全国6ヶ所を巡回した写真展「茅葺き屋根の家」を開催した。
 長きにわたっての勤務作家時代は、4×5のフィルムで作品づくりをしてきたが、近年はさすがに私もデジタルカメラに移行、今ではキヤノンEOS 5Dsとアオリの出来るシフトレンズを愛用して仕事をしている。もちろん建築写真では全ピンが99パーセント、三脚は欠かすことはできない。いまでも三脚なしではシャッターを押すことはない。
 今日までに出版した写真集24冊、写真展は日本全国で9テーマ約38会場、海外展は英国ロンドン・キューガーデンギャラリーで開催、これが、写真家高井潔の全財産である。勤務写真家として撮影したおよそ10万枚近い作品は、大成建設に保存され私の手元を離れて、会社のものとして今も働いてくれている。今では私が自由に使うことはまったく出来ないが、生んだ子供が元気に働いてくれているようで、私を喜ばせてくれている。

リンホフテヒニカ4×5
スーパーアンギュロン90mm F5.6
距離計連動式ピント合わせ装置とアクセサリーシューを除去した4×5カメラ

 大型カメラでの出張撮影には、荷物をいかに少なくするかが、移動、撮影と共に大きな課題である。荷物を少しでも小さくするため、四角い写真機から横に飛び出している距離計連動式のファインダーを外し、アクセサリーシューまで外した。ガラス面だけを利用して画面構成とピント合わせを行う、シンプルなスタイルで撮影を続けた。
 建築写真では、アオリ装置を使って建物を水平・垂直に撮影することを求められる。一般的なカメラは、フィルムもレンズも固定されているためアオレないが、ここに写っているカメラはレンズ面もフィルム面も移動でき、アオリを使って作品をつくることができる。
 私が撮影した建築写真は約80%以上が何らかのアオリ装置を使った作品となっている。


DATA リンホフテヒニカ4×5・スーパーアンギュロン90mm F5.6・トライX・絞りF16・1/30秒・Y2フィルター使用
旧国立競技場(東京都港区)これから始まるアジアで初のオリンピック開催を待つ競技場。コンクリート建築の光と影の力強さを表現した。ここに掲げられた日の丸の旗は、円谷幸吉のマラソン3位1本のみである。
(1963年11月撮影)

DATA リンホフテヒニカ4×5・スーパーアンギュロン90mm F5.6・トライX・絞りF16・1分
吉島家(岐阜県高山市)飛騨は、古来木工の名手を輩出した地。吉島家は1907(明治40)年に大火の後再建され、家全体に伝統が受け継がれている。土間からみる吹き抜けの荘厳さは、計算しつくされた美しさである。
(1990年11月撮影)

DATA リンホフテヒニカ4×5・スーパーアンギュロン90mm F5.6・エクタクロームEPR・絞りF16・1/60秒
佐藤家(新潟県関川村)は旧米沢街道沿いにある。上から見るとT字型の屋根で、撞木造りという独特の構造の家で、主屋は1765(明和2)年に再建されたものである。(1991年10月撮影)

©高井潔

今回の語り手プロフィール
高井潔
Kiyosi Takai
次回の語り手プロフィール
齋藤亮一
Ryoichi Saito
1938年東京に生まれる。日本大学芸術学部写真学科卒。日本写真家協会会員。日本写真協会顧問。日本建築写真家協会代表。1974年日本写真協会賞新人賞・1999年日本写真協会賞年度賞を受賞。大成建設での勤務のかたわら写真家として、ライフワークである日本の古建築を追って、作家活動を続け、定年退職後、今日までフリー写真家として活動。主な著書に『北京 古い建てもの見て歩き』(ダイヤモンド・ビック社)『日本の名景-民家』(光村推古書院)などの他に写真集や技術書多数。   1959年札幌市に生まれる。日本大学芸術学部写真学科卒。激変する世界の現場を見たいと、89年のベルリンの壁崩壊後の旧東欧諸国や、ロシア、中国などを回る。近年は「命の輝き」をテーマに、日本にカメラを向けている。写真集に『新しい地図』『NOSTALGIA』『BALKAN』(2000年日本写真協会年度賞)『ゆるやかなとき』『Lost China』(2003年東川賞国内作家賞)『フンザへ』『INDIA下町劇場』『佳き日』『ふるさとはれの日』他。
http://www.saitoryoichi.com
齋藤亮一さんは、フリー写真家として、雑誌や書籍の仕事を中心に、人物、風土などを撮影している。一方ライフワークとして世界各地を旅して写真集、写真展などで作品を発表している。特に1989年のベルリンの壁崩壊直後より、代わりゆくロシア、東欧など旧共産國のほとんどの国を回っている。近年「命の輝き」を求めて、日本の風土や祭りにもカメラを向けている。
語り手一覧
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▶ 大坂寛
▶ 織作峰子
▶ 神立尚紀
▶ 齋藤亮一
▶ 坂口綱男
▶ 佐藤仁重
▶ 菅原一剛
▶ 鈴木一雄
▶ 高井潔
▶ 内藤忠行
▶ 英伸三
▶ 林義勝
▶ 広川泰士
▶ 松本徳彦
▶ 三好耕三
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▶ オリンパス OM-1N
▶ キヤノン F-1
▶ コンタックスRTS
▶ コンタックスRXII
▶ コンタックスST
▶ ディアドルフ 16×20
▶ ディアドルフ8×10
▶ ニコンS
▶ ニコンSP
▶ ハッセルブラッド553ELX&オリンパスPEN E-P3
▶ ペンタックス67
▶ マミヤ7II
▶ ミノルタオートコード
▶ リンホフテヒニカ4×5
▶ ローライ コード
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