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英伸三さん
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ニコンSP
 1955年、私が19歳のとき、新橋のガード下のカメラ屋ではじめてカメラを買った。いまのようにカメラは大衆化していなかったし金もなかったので、ウインドウのまん中で紫のビロードの上に飾られている高級カメラは、しょせん手の届かぬ高嶺の花であったが、そのなかの「ラコン」という名前の35mm判カメラが1万円なにがしかの正札とともに私の目を引いた。ライカともニコンともつかない妙な名前のこのカメラは、3枚玉レンズで距離計なし、シャッターセットも手動式という簡単な機構だったが、「ラコン」という名前がなんとなく気に入った。
 だが、晴れてわが愛機となった「ラコン」は、10か月月賦の終わらぬうちからシャッターが切れなくなったり、フラッシュがつかなくなったりして、たびたびガード下のカメラ屋に修理のための里帰りをした。そのうち何度なおしてもなおらなくなったので、新しいものと交換するよう製造元へ問い合わせて欲しいとカメラ屋の主人に頼んだところ、この会社は倒産した、在庫もないと言うことだった。仕方がないのでしばらくだましだまし使っていたが、1年もしないうちに、とうとうシャッターがまったく動かなくなってしまった。
 本格的に写真の道に進みたいと考え、1958年、22歳のとき写真学校に入った。ソニーで会社勤めをしながらの通学だったので、夜間部だった。この学校で写真評論家の重森弘淹氏や伊藤知巳氏から、事実を見つめる視点の定め方と、社会性を重視する写真の基本的考え方を徹底的にたたきこまれ、ドキュメンタリー・フォトへの道を強く志向するようになった。そして1961年、ソニーを辞めてフリーの写真家としてスタートすることにした。カメラはずっと欲しかったレンジファインダーのニコンSPを、ニッコール50mm F1.4と28mm F3.5といっしょに、有り金をはたいて買った。
 ニコンSPは、手にすっぽり入る大きさで、ファインダーは50mmから135mm用のものと、28mmと35mmの広角用が付いている。また、シャッターボタンの横にあるギアを指で回すとレンズのヘリコイドが動いてピント合わせができるという、たいへん便利な機能を備えている。この焦点調節ギアは、高所からのアングルを求めて木に登ったり、塀の上に乗ったりしたとき、左手で体を支えながら片手操作が可能、またストロボを使うときも延長コードをつないでストロボを片手に持って照射角度を工夫しながらの撮影ができる。主として50mmと28mmレンズを使ったが、対象と間近に向き合い、チャンスを逃さずシャッターを切る早撮りの技術を身につけることができたのは、このニコンSPのおかげである。
 1964年、長野県の農村で農家の主婦たちが電子部品の組み立ての内職をしている問題を取材し、カメラ雑誌や総合雑誌に「農村電子工業」のタイトルで写真を掲載した。この撮影では納屋工場の狭い作業場で、ニコンSPに28mmレンズを付けて多用した。
 この頃は高度経済成長の最中で、農村では働き手の男性は都市部へ出稼ぎに行き、農業の主体は主婦と老人に移っていた。そうしたなかで、当時の花形産業であった弱電機器の部品メーカーは、農村に分工場を進出させ、下請工場を通じて農家にトランジスタラジオやテープレコーダーの部品を組み立てる仕事を送りこんだ。ねらいは主婦の安価な労働力である。県南部の伊那市の農村では、下請工場から仕事を請負った農民が、納屋や蚕室を改造した納屋工場と呼ばれる作業場で、近所の主婦たちを集めて仕事をさせていた。仕事は抵抗器のハンダ付けや小型トランスの組み立てなどだが主婦たちの一日の仕事量は多く、ときには裸電球の下で夜遅くまで続けられた。
 あるとき、親しくなった納屋工場の工場長に、こんなところで電子部品を作って大丈夫かと、思い切って聞いてみた。するとその農民工場長は、わしらはこれまでいろんなものを作ってきた、カメラだって作ったぞ、と自慢気にいう。私は「ラコン」のことを思い出した。たしか製造元は信濃光機とかいう名前だったからである。そのことを話すと、彼はげらげら笑い出し、あれはわしらが部品を集めて作ったが、評判が悪いので500台でやめた、という。やっとの思いで買ったカメラだというのに、なんということだ。このインチキおやじめ!不思議な巡り合わせに主婦たちも仕事の手を休めておかしそうに笑っていた。

「農村電子工業」抵抗器のハンダ付けをする主婦たち
1964年・長野県伊那市富県
ニコンSP・ニッコール28mm・トライX

「農村電子工業」納屋工場
1964年・長野県伊那市富県
ニコンSP・ニッコール28mm・トライX
「農村電子工業」
部品の一方を樹脂で固めるコンデンサーの組立て
1964年・長野県伊那市富県
ニコンSP・ニッコール28mm・トライX

©英伸三

【写真展情報】

・写真展「文革の残影-中国 江南の古鎮を訪ね歩く-」
*銀座・大阪での展示ははすでに終了しております。

〈写真展解説〉
1966年から10年間、中国全土を混乱に陥れたプロレタリア文化大革命。発動以来40数年、民家の壁や工場の建物などに赤ペンキで肉太に書かれた政治スローガンや毛沢東語録の一節がいまも消えかかって残っている。現在、文革は完全に否定され、当時の革命思想も過去の歴史の中に埋没したかのように見える。だが、壁に刻まれた文字や毛沢東の肖像画は、混乱と苦悩の日々にあったことを静かに物語っている。

今回の語り手プロフィール
英伸三
Shinzo Hanabusa
次回の語り手プロフィール
高井潔
Kiyosi Takai
1936年千葉市に生まれる。東京総合写真専門学校卒。日本写真家協会会員。現代写真研究所所長。農村問題などを通じて日本社会の姿を追い続けた。
1992年から中国の上海と江南一帯の明、清時代の面影を残す運河沿いの古鎮を訪ね、「改革・開放」の近代化政策によって姿を変えていく街のたたずまいと人々の暮らしぶりを記録している。1982年に第7回伊奈信男賞受賞。主な写真集に『農村からの証言』(朝日新聞社)『新富嶽百景』(岩波書店)『上海天空下』(日本カメラ社)他多数。
  1938年東京に生まれる。日本大学芸術学部写真学科卒。日本写真家協会会員。日本写真協会顧問。日本建築写真家協会代表。1974年日本写真協会賞新人賞・1999年日本写真協会賞年度賞を受賞。大成建設での勤務のかたわら写真家として、ライフワークである日本の古建築を追って、作家活動を続け、定年退職後、今日までフリー写真家として活動。主な著書に『北京 古い建てもの見て歩き』(ダイヤモンド・ビック社)『日本の名景-民家』(光村推古書院)などの他に写真集や技術書多数。
高井潔さんは長年にわたって日本の民家を撮り続けている建築写真家である。これまでに全国を訪ねて約2,000軒もの民家を撮影したと聞く。高井さんが撮った民家の写真には、日本の木造家屋の伝統美と、そこに暮らした人間の歴史が重層的にとらえられていて、大変に味わい深いものがある。実際の撮影にはどんなカメラが使われていたのだろうか、お話を伺ってみたい。
語り手一覧
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▶ 榎並悦子
▶ 大坂寛
▶ 織作峰子
▶ 神立尚紀
▶ 齋藤亮一
▶ 坂口綱男
▶ 佐藤仁重
▶ 鈴木一雄
▶ 高井潔
▶ 内藤忠行
▶ 英伸三
▶ 林義勝
▶ 松本徳彦
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