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三好耕三さん
17
ディアドルフ 16×20
 私の現在使用しているカメラは、Deardorff 16×20。そう、16×20インチのフィルムを使うフィールドカメラです。では、それに辿り着くまでの話を少ししましょう。
 最初のカメラは、大学に入りすぐに Nikon F blackの50mmレンズ付きを手に入れました。その当時のアルバイトは写真の現場が多く、高学年になると、小さな仕事だとその会社の名刺を持たされカメラマンとして出行させられたものでした。そのうちある程度の収入にもなり、必要に駆られボディも増え、レンズも20mmから200mmまで揃えていました。しかし、アルバイトの時以外は35mm付きのNikon Fを数本の手巻きのTri-Xと共に大きめのハトロン紙の袋に入れて抱え持ち歩いていました。この紙袋に裸のカメラを入れて持ち運ぶことを始めたのは、その当時、封切りされた映画の"BLOW-UP"の主人公がやっていたのをカッコイイと真似たものでした。このスタイルにはたくさんの思い出があり、たとえば、早朝の東京駅丸の内口で、良い被写体がないかと人目も気にせずウロウロしていたときに、補導員の眼につき呼び止められ、学生証や紙袋の中身を見せるまで、誤解を晴らすのにとても苦労した思い出話などもありました。
 それから6×6サイズに移って行くのですが、35mmと併用していました。
 実家にすでに現役を退いた長兄のリコーフレックスがあり、6×6のフレーミングはこれで慣れました。初期の作品数点はこのカメラで撮ったものもあります。その後、ローライフレックスを、W 、f 2.8、f 3.5と使いました。ローライフレックスを好んだのは、レンズを交換できない思いきりの良さだったり、撮る時に、人であれ、物であれ、景色であれ、対象物に向かいお辞儀をしてカメラを構える姿が好きだったからです。これで撮れないものは撮らなくて良いとも思いました。今までがそうであったように、これからもそうでありたいものです。
 1980年代の初期から8×10に移行。画質、描写力の優位性や、多くの先人達が大判カメラを使用していたこと。また、昨今のデジタルカメラ程ではないにしろ、数多くのネガの中から写真をセレクトをしていくその行為に疑問を抱いていたため、カメラを大きくすれば、撮影の前の対象の選択、光の選別が小型カメラより自ずとシビアになり、シャッターを切る回数が減り、必然にネガの数が少なくなると考えたのが理由です。Deardorff 8×10やエルウッド8×10のエンラージャーを入手し、それから2009年まで、約30年間の長期にわたり20シリーズ以上の作品創りにDeardorff 8×10を使い続けました。
ある時、そのDeardorff 8×10が極寒の下北半島で突風に煽られ10m崖を転げ落ち、繰り出しの木製部分は無残にもへし折れ、金属部分さえも打ち曲がり完全に再起不能と思われる無残な姿になってしまいました。
 そんなときにDeardorff好きが高じて「スパロウ・フォト」というDeardorffの専門店を東京の馬喰町で開業してしまった臼田晃さんに出会います。臼田さんご夫婦は偶然にも大学の先輩であり、見るも無残な姿になった私のDeardorff 8×10の話を聞いた臼田さんは、ことも簡単に「お持ちなさい、完治してあげます」と。そして3ヶ月ほどで信じられない完璧な状態のDeardorff 8×10が戻ってきたのです。
 30歳前半から小型カメラの面白さを振り切って大判の世界に入りこみ、8×10の大きさにも慣れきってくるとまたネガの数が多くなってきました。
 さらに大きなフォーマットのカメラを求めるようになり、2000年代に入るとDark RoomにもPowerBookが入り込み、最大の大判20×24に興味を持ちリサーチを開始、それに合わせたフィルム・レンズ・三脚をいとも簡単に世界のどこの街にあるかが検索可能となり、個人レベルで調達でき、容易に揃えられるようになるのですが、結局は手に入れることをあきらめました20×24サイズにもなると、本体重量が35キロから、重いものになると50キロにもなるのです。これはダメです。基本的には従来もそうであったようにこれからも一人でロケに出かけ、切り盛りすることに決めているため、この重さでは本体を三脚まで上げられないのです。16×20であれば、重さは15キロから20キロ位。この重さならばどうにか三脚まで上げられます。よってサイズは16×20に決定です。
 その当時、16×20サイズのカメラを製作している工房は世界中に3~4ヶ所あったと思います。臼田さんに16×20のカメラを何処のカメラにしたら良いか相談すると、臼田さんは「私が作りましょう」と、いとも簡単に言い、私は神のお告げか、狐につままれたかのように、ただ一言「お願いします」と言ったことは今でもよく覚えています。
 まずは材料を集めることになり、フロントとベース部分にはDeardorff11×14を使用、要の木枠の部分は江戸指物師、金具部分と蛇腹は旧知の方に協力願うと知らされました。フィルムホルダーの調達は私が担当で、カルフォルニアの工房に発注したのですが、一年経っても仕上がらず、痺れを切らせて催促に出向きました。でもそれから半年後にやっと手にしたホルダーは納得できる仕上がりのものでした。
 そして2回の暑い夏が過ぎ、菊の季節に入った頃、臼田さんから、アッセンブリーが済み7回目のニス塗りが終わるので、16×20を渡せるとの知らせがありました。その仕上がったDeardorff_UsudaはまぎれもなくDeardorff16×20でした。かつてシカゴのDeardorff社でも数台のプロトタイプの16×20を製作の記録があるらしいのですが、この16×20は負けず劣らないものと自負しています。そしてこのような身に余る宝物を託されたことに感謝をし、新境地で高みを目指し、背筋を正す思いに駆られました。


 このサイズ16×20を使い出して8年が立ちますが、写真を撮ることが、それまでとは違った領域でおこなっているような感覚です。カメラの大きさや機動性のことからくる変化ではなく、現象、気配など、本来不可視な万象に対応し対峙するようになり、写真をすることがより一層楽しめるようになったことです。そしてこの16×20Deardorffからはもう一つのgiftがありました。16×20サイズ移行の決断をした時に、初撮りを、未だに一度も撮影してなかった「石元泰博を撮りたく思い、その旨を伝え、元気でまだカメラを置く前の石元康博を、互いに納得ゆくものが撮れたことは大事な事始めでした。以前は写真歴の最後は街に出てライカのスナップショットをと思っていましたが、この16×20の世界は私にとって何をしても唯一無二のものと成ってしまい、おそらくこのカメラを最後まで使い続けることになるのだろうと思います。
 なお、このDeardorff16×20の製作過程の記事は本誌、日本カメラ2009年12月号に詳細に載っています。

YUBUNE,2012


SABI,2012


RINGO,2012

©三好耕三 Kozo Miyoshi

今回の語り手プロフィール
三好耕三
kozo miyoshi
1947年千葉県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。1979年フォト・ギャラリー・インターナショナル(P.G.I.)で個展。以来国内、外で個展、グループ展を開催。作品は国内外の大学、資料館、美術館等に収蔵されている。
http://www.8x10.jp/
 
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